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Archives for December 2020

モンペデビュー(2)

「ついにやってやった!」と何か偉大なことを成し遂げたような気持ちになっていた

なのになぜか違和感

周りの友だちの反応との温度差

学校至上主義の方々に理解されないのは分かっているので敢えて理解を示してくれそうな自分と似た志向性の友人を選んで打ち明けている

「やっぱり毎日6,7キロもあるランドセルを背負って20分の往復っておかしいと思うんだよね」

「ほんとそう、可哀想だよねー!無駄だよねー」

「文科省だって数年前から通達だしているのにさー」

「そうなの?」

「そう、なのに変われないのって。だからこないだ先生に言ってみてさ」

「え」

「毎日全教科の教科書やノートを持ち帰るのって何か理由があるんですか、置き勉にしないのって何か理由があるんですかって。」

友人の顔が曇っていく

なんとか理解を、支持を得たい

だってこんなの、悪しき慣習でしかなくて

先生とのお電話の内容の一部始終を話す

話せば分かってくれるはずだ

「…はは、そうなんだー、、笑」

と話題が終了する

終わった
モンペだと思われた

“子ども達が大変、かわいそう、だから楽にしてあげないとという声が、結局、子ども達の心や体が「強くなる経験」を奪っているのだ”

という声もある

違う違う
可哀想だからじゃなくて
無意味だから辞めたいんだって!

(ついでに、中身空っぽにしたってどうせランドセルだけで5キロはあるんだって!十分。ランドセル屋さんには悪いけどリュックに筆記用具と水筒で登校が理想)

だって、持ち帰った教科書広げて復習するこども、全体の何パーセントくらい?

帰宅後も予習復習をする気のある子ども(正しくはスパルタ教育ママを持つ子ども)は通信教育か塾で学習しているのが実態よ?

持ち帰りたい子だけ持って帰ればいいじゃんー!笑(今年度から全ての教科の置き勉を推奨します、とかって校長がいってくれさえすれば、いやわたしは毎日全部持ち帰りたいです、なんて子はおそらくいないはず)

「学校で保管というのが難しくて、、」
「何かあったときに責任を負えないので、、」

クーピーとか絵の具セットとか体操服は置きっぱなしなのに?

よくわからないな
更に攻める

「万が一無くなったりしたときに学校が責任を負えないので困る、ということですか?
では無くした場合自費で購入するということでしたら大丈夫ですか」

「…えっと、そしたらしばらく置き勉という形にしてみますか?」

違う!
先生は誤解している!

これでは完全に敗けである

ひまりちゃんのお母さん=モンペ

ただでさえ忙しいのにモンペの対応に追われるかわいそうな先生

娘は「甘やかされわがままっ子」

の構図の完成である

もーもーもーもーーー!!!

全然納得いかない

「なるほどなるほど、そうですよね、確かに置き勉出来ないなんておかしいですよね。うんうん、それじゃ次の職員会議で話し合ってみますね」
とでも言ってもらえると思ったのだろうか
甘かった

どこまでも平行線である

「あ、じゃあすみませんが、しばらくそれでお願いします♪お手数おかけします」

娘よ
中途半端なモンスターママでごめんなさい

おや

2020-12-25

最近たどり着いた一つの解

親の仕事は、

おや?っと気づくこと

それ以上でも以下でもないこと。

ダジャレだけど、きっとそう。

だから、可能な限り研ぎ澄まそうと思って。

おや?っとする感覚を。

水晶玉のことばに/を



ひとりの子と出会った


かれのこと、まわりのひとは

しょうがいじゃないか、って言ってた

その日もかれは体操の列からはなれて、
わたしはあとをついて、園庭の後ろを歩いてた



ふと、かれがうたっているのがきこえた

わたしのしらないことばで、

でもはずんでいるおとで

腕をあげて、足を踏みならす

たのしそう ダンス

となりにしゃがんでそれをみてた

草のところどころ生えた白っぽい園庭

そして突然下を指さして、

そしてそれから上を指した!

その時わたしは空を見て、

ああ!  なんて!  
空は広いんだ

目眩がするほどびっくりした


そしてそれから地面を見たら

ああ!  なんて! 
地面は丸いんだ!!!

空と地面と魚眼レンズのようにひとつにつながって

わたしたちふたり
まんまるい、おおきなまあるい水晶玉のなかにいるようにみえた

ことばってなに?

かれはしょうがいなんだろうか
こんなにみえなくなっていたことを教えているのに
ぜんぜん聴いていないのは、わたしたちのほうじゃないか

わたしたちはみんなことばに/を奪われているんじゃないのか

このこえをきこえるようにするにはどうしたらいいの?
ことばを取り戻すにはどうしたらいいの?

時間が必要だ時間が
注意深く世界に耳をすます時間が
そして
書くことのおそろしさを知ることが


わたしはもうかけない
それでも、かかなければならない

How you day?

ほんものをみて
ほんものはすくない
ほんものをみていて
ほんものはあるのよ
「かたち」とはちがうの
ただ「かたち」を借りて闘っているの
よくみていて
よくみていて
みみになって
うばわれているものを

社宅妻服飾論

仲良くなりたいと思う相手を見つけたら徐々に距離を縮めていくのが楽しくて好きと話してくれた隣人が

「初め引っ越していらしたときはヤバイやつ来た!と思いました~!」

とカミングアウトしてくれて笑った

夫同士が同じ会社という社員住宅の人間関係はある意味特殊であると思う

この場合、彼女の”ヤバい”は、”周りの目を気にせず周囲に合わせることなく自分の好きなものを着る”ことを指している

堂々としていてオープンに意見を述べるタイプの彼女が、「ここに引っ越してきたとき手持ちの服を全部捨てたんです」と話してくれて驚いたけれどその気持ちには心当たりがある

コミュニティや社会的役割に合わせて服装を変えるということ

いま思えば頭がおかしいけど
娘を妊娠したときにフェミニンなデザインのワンピースを封印し、これからはユニクロのシャツやジーンズで生活しなきゃいけないんだとなぜか思い込んだ

海外での生活が始まると
ばかじゃないかと思うような値段のほとんど何も入らない大きさのバッグがどうしても欲しくなったり
日本に帰国したら着れないだろうなぁと思いながら、ビビッドな色のドレスを何着か買った

日本への本帰国が決まったら
髪に入れたハイライトはもとに戻そうとか
衝動買いしてしまったピンクのドレスはメルカリで売ろうとか…
(我ながら極端である。夫はその都度ドン引き)

窮屈に服選びをした過去もあるけれど、ファッションを自由に楽しむ素敵な女性たちに出会えたおかげで自分らしく身に付けるものを選択出来ているのだと思う

周りからどうジャッジされるかを(極力)考えずに

その日、引っ越し先となった社員住宅の全家庭にあいさつまわりに伺った日

丈の長いシンプルなワンピースに、黒のローヒールパンプス

“常識的な服装”であったと思う

浮いていたのだろうか

調子に乗って見えた?笑

彼女にとって初めての社員住宅生活は、手持ちの服を一新してもっと地味で手頃な値段の服装で生活しなきゃと彼女を駆り立てた

私の当時の渾身の”常識服”をヤバイ呼ばわりした彼女も今や、明るい色のニットに、上質でセンスの良いバック、さりげなくイタリアブランドの靴

自分らしく選択する人は好きだ

今やいっしょに”ヤバイやつ”になったわたしたちだけれど、実際は他の住人に疎まれることもなく、むしろ関係はとても良好(だと思っている)

とんでもないカミングアウトだったが、また一気に彼女との距離が深まったのを感じてとても嬉しかった

「相/合い/間」

2020-12-15

大量のバッタの群れが、農作物を食い荒らす害のこと、知ってるかい
バッタの蝗、で「蝗害」っていうんだけどね、

蝗害をもたらす大群の中のバッタは、色や足の形をはじめ、見た目がぜんぜん違っていたので、
大人しい普通の単独バッタとは、ずっと別種のバッタだと思われてたのだそう。
でも、研究者が蝗害のバッタを一匹にしといたら、なんと、そのうちに何の害もない「ただのバッタ」に戻っていったんだって。

一匹だけだったら、何にも害をもたらさない、ただのバッタなの。
ところが、バッタが数匹集まったとき、「集まってるよ」ってフェロモンが出て、ただのバッタが、だんだん集まる内に、どんどん攻撃的・貪欲になって、みんなが同じ方向に向かって行進するようになって、見た目もいかつくなっていくらしい

ひとりだと普通の人が、集団になると、同じ方向に向かって、ワルいことにも加担できてしまうのと同じイメージなんだって

そういう個を喪失して凶暴化したバッタの相貌は、「群生相」っていう。
それは人相の「相」

「相」は、木を見ることで、詳しく見るが語源と言われているんだけど
「合い」と語源が同じという説もあって、「合い」は、つまり「間」のことなの

あいだにつながっているものが、わたしたちを相互につくりかえているの
あなたはわたしの一部
わたしもあなたの一部

わたしたちは切り離されてるって思わせようとされてるかもしれないけどさ

「あいだ」に生まれ来るものが、
わたしたちの「人相」も変えているのかもしれない

バッタが「凶暴化」してるっていうのは一つの見方で
彼らの食物を奪い土地を破壊してるのは人間かもしれないし

でも、集まったときに、みえないんだけど、確かに「あいだ」が、
たぽんとした湯船のような、くすぐったい気持ちよさが、創発するんだよね
バッタとの間にもあるのかも
できるだけあったかな相にしたいなあ
それをみたいなあ
かいでみたいなあ
見えなくなっているんじゃないかしら
いまたくさんのものが

The purpose of life is…

2020-12-09

Yogi Tea

お茶を飲むという行為に、ことばが添えられるYogi Tea.

サロンでお茶を飲みながら、言葉を交わしていた時代の人からしたら、

興醒めだろうと思ったり.

そのとき、そのときの、生をとらえることばを

議論の中で探り合い、見つけ出すためにこそ

お茶を飲んでいたのだろうから.

でも、しいんとした夜に、ひとり

ことばにとらわれるその一瞬は、

また別の暖かさ.

<行為者としてのモノ>(ギギ 2011)について

考えたのはフランスの人類学者・哲学者ブルーノ・ラトゥール(1947-)だとか.

ひるがえって日本の民俗学者折口信夫(1887-1953)は、

日本の古代の神概念としてカミ・オニ・タマ・モノをあげる(折口 1929).

「モノ」が指し示すものは当然違うだろうけど「モノノケ」なんてのは、

まさに、<行為者としてのモノ>を捉えたのではなかったか.

このあたり、じっくりと、またこんど.

さて、もう一杯入れてこようかな.

<行為者としてのコトバ>にとらわれるために.

ファビオ・ギギ (2011)「行為者としての「モノ」 ──エージェンシーの概念の拡張に関する一考察──」『同志社社会学研究』 15:1–12.

折口信夫(1929)「霊魂の話」(『民俗学』第一巻第三号)折口信夫全集刊行会編纂(1995)『折 口信夫全集 3』中央公論社、pp.248-263.

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