• Skip to primary navigation
  • Skip to main content
  • Skip to footer

lib.i.do

with words, as discourse

  • 生: lib.i.do
    • 呼: Calling
    • 基: Root
  • 詩:Poiema
    • otumetokotume’s
    • hahahahrks’s
    • 5 years old philosopher’s
      • voice memo
    • כלב
    • sheep’s
    • Hikaru’s
  • 本:Librarium
    • Essay
      • 往復書簡
    • Novel
    • Fantasy
    • Poem
    • Journal
    • Academia
    • Classic
  • 記:Logs
    • otumetokotume’s
    • hahahahrks
    • 5 years old philosopher’s
    • כלב
    • sheep’s
    • Hikaru
  • 触: Contact

記:Logs

つぶやきがわりの雑記をここに

贈り物と頂きモノ(1)

2021-1-16

一週間、経つのが早すぎる。

毎日は無理でも

せめて3日に1度は書ければ…

と思う気持ちには

とてもじゃないけど追いつけなくて…

一年が52-54週なら、

今年の残りは50週

一週間に更新が1度なら、

今年の目標更新数は50回

にしておこうかな…

(おーい、少なすぎるよーと、心は叫んでいるけれど…)

さて、今日のYogi Teaのお告げは…

(知友がそう呼んでいた笑)

あぁーやめて…

重すぎる…

今はそんな気分じゃないの

もっとどんよりしたいのよ

(闇に包まれたい時間だし?)

とてもじゃないけど

明るくなれそうにないって

ときにかぎって、

底抜けの明るさで

全人生肯定観念論を展開されても

困るし、もう

全然助けにならないわ!

などと心で罵ったりして。

(8割がた救われてるのに、薄情なやつ)

あまりに正論で

「すき」や「ま」がないのは

もはや正論ではない

はいー決まったー

(今決めた)

いや、違うな…

(ここから独白に入ります)

This life is a gift.って

間違いないの。

100%わかって

100%理解できてるのに

そうとは思えない私がいるのも

100%事実であって、

そうだとすると

This life is a gift.の問題は、

A=Bであることを述べることで

A=Cである可能性を背景に押しやってる

ことにあるのでは。

This life is a gift.に

辿りつくまでに

幾たびも傷ついてきたのに、

そのすべてをひっくるめて

全部まるごと

This life is a gift.だなんて

あんまりで、

This life is a giftなどと

とてもじゃないけど

思えない人の気持ちは、

どれほど遠くに

押しやられてしまうのだろうか…

ということ。

+「…?」

「A=Bであることを述べることで

A=Cである可能性を背景に押しやってる」

とは、

一方で、

「A=BはA=Cでもあって、

A=Bは、Aの一つの側面にすぎない」

ということを、了解しえないのはなぜか

という問題でもある。

like, a kind of, a sort ofのような

ぼかし表現をともなって

A=Bの確からしさの程度をさげて、

了解を得やすくすることもできる。

けれど、そうすると抽象さが増して、

AとBのつながりは不鮮明になる。

その意味で、

何を取るかは多分に政治的・方略的な問題になる。

つまり、

A=Bということで、

A=C(やA≠B)を排除してしまう

(と思われる)事態(≒リスク)が

生じうるとしても、

それでもなお、A=Bという価値がある

と判断された上での

A=B、

This life = a gift.

なのだ。

This life is a gift.のことばの重さは

そのことばの「価値づけ」

(をしてきた人々、を支える人々)

の重さだったのかもしれない。

このことは、

ことばを以て何かについて

述べようとすると

大なり小なり、生じてしまう

永遠のテーゼでもある。

別の言い方をすれば、

ことばの限界。

けれども、ことばは、

神経細胞(ニューロン)から神経細胞へと

神経伝達物質が送られることの

繰り返し、と連なり、

すなわちニューロンネットワークの発露

であるから、

「ことばを以て何かについて述べようとすると

大なり小なり、生じてしまう

(多分に政治的・方略的な)了解の問題」

はそれこそ、ニューロンネットワークの多様さ

つまり、

ことばを生み出す関係の固有性、

置き換えられなさを示している

といえるのではないだろうか。

この神経細胞の伝達を「データ」として蓄積し、

ニューロンネットワークを

検証することになれば、

ネットワークの強弱によって

価値判断を生み出す

に違いなく、

そうなれば、ネットワークの微弱なものは

統計的には捨象され

「ノイズ」とみなされるだろう。

そのネットワークこそが、

その人にとって「固有な」もの

であったとしても。

だからこそ、

だからこそ、

この了解しえなさを、

あるいは

了解できたとしたら、なぜできたのかを、

問うこと、疑うこと、

「ことば」にすることが、

目には見えず

耳にも振るわず

手でも触れず

測りもしえない

「ことば」を生み出す関係の固有性、

置き換えられなさの発露を

唯一のものとして扱う

一つの術(ars)なのだ。

(先達たちは、これを「道」と捉えてきたんだよね?)

「贈り物と頂きモノ」で書こうと

思っていたことから

途方もなくかけ離れてしまったので、

ひとまず第一弾として、

第二弾は、またこんど。

yuko / כלב

夕焼け空の道案内「→」

共有

 

 

 

娘の投稿した写真が
Eテレの番組に採用された

自然界の似ているものを
観察したり比較したりする
こども向けの10分番組

 

この秋
玄関を開けたところに
枯れ葉のような”なにか”
を見つけた

その後何日間か
じっと動かない

2,3cmの赤茶いろのそれが
珍しい姿の昆虫なんだと気付いて

上の階に住む仲良しKくんに
さっそく報告

興奮したKくん
「ミミクリーズに送りたい!」と。

 

毎週見ているお気に入りの番組の最後に視聴者からの「似ているもの」の写真の紹介のコーナーがあり、それに応募したいKくん

スマホを母から取り上げ撮影

いますぐ投稿する!というので
番組サイトを検索して
投稿フォームに書き込む娘

 

こどもの突拍子もない提案に
乗っかるのが好きだ

「投稿するときのニックネームを書くんだって!なににする?」

2人相談して
決めたニックネームは
数週間前にお父さんの仕事の都合で引っ越してしまったもう一人の仲良しのおともだちの名前だった

 

毎日のように3人で遊んで
なんどもなんどもケンカして
もう二度と遊ばない、なんて言いながら

ママに怒られて帰りたくない、と
お風呂と夕飯も食べていって
(お泊まりもする!のとこで強制送還)

ママに「トイレいってくる」なんて言って
家を抜け出して数十秒後には
うちに上がっておやつ食べてる

 

3人が2人になった寂しさ

 

番組の投稿の名前を見て
引っ越してしまった彼が
じぶんたちのことを
思い出してくれればいい、と

 

こどもたちの
純粋で、計算のない、思い

 

そういう美しさに触れ
はっとさせられる

 

そんな彼らを誇らしく思う

 

春にはKくんもまた
ここを引っ越していく

 

大きくなっても
覚えているだろうか

 

番組の制作スタッフさんも
放送を見たちびっこたちも
誰も知らない

 

三人だけの   。

 

 

 

 

椿の笛

2021-01-11

さてこちら

親指の第一関節ほどの大きさの

椿の種

穴を開けて

ヘアピンで中をくり抜いて

笛を作ったそうな

吹いてみるとこんな感じ

5歳児が吹いてみた

いいかんじ♡

このあと

久しぶりに絵具を出して遊んだので

流れ寄る椰子の実…笑

(あ、種にペイントしたらかわいかったなぁ)

すぐ飽きて

絵具があまってしまったので…

ついでに、前衛芸術…笑

もはや一人で


やっぱり指はいいなぁ

自由だなぁ

絵具の滑らかさは

画用紙の上で滑らせて

はじめてわかるんだよなぁ


などと

悦に浸っていたら

乾いた頃に

鑑賞者がやってきた

イメージのイマージュ

思いがけない好評価…笑

作品は作者の手から離れた瞬間に

もはや作者のものではない

と言っていたのは、誰だったかな

本当にその通りだと

しみじみ

世の中の出来事も

(ここに書いていることも)

だいたいそんなものだよね?


こどもは母親から産み落とされた瞬間に

もはや母親のものではない


忘れそうになったら

また、ここに戻ってこよう

yuko / כלב

牛乳パックをパレットがわりに

備忘録

2021-1-7

あけましておめでとうございます

去年から、Yogi Teaの言葉を噛みしめお茶を飲む習慣ができていて、

そんななか、

2021年の最初のYogi Teaは…

く〜

染みる〜

give loveの後の「, 」が

give loveとget loveは地続きなのだと…

そんなわけで(?)、

今年の目標!

東洋思想にどっぷり浸る。

身体まるごと。

(あ、あとgive love とget loveも…って含まれてるのか…)


話は変わり…

1/3に、初ラン〜初銭湯の3hコースという極上の至福タイムを味わいました。

走ってる途中のお家の前に、

「ご自由にお持ちください」ボックスが置いてあって、

分厚い本がぎっしり!

な、な、なんというお宝!

本を目の前にすると子どもになって周りが見えなくなってしまう

ついつい中をパラパラ見てしまい

伴走のトレーナーにおこられ…トホホ。


ねぇもう何してるの?

え、本読んでる

ねぇもうどんだけ読むの?もう!

だって本読んでると周りが見えなくなっちゃうんだもん

ねぇ、そんなお母さんいないよ?

周りが見えなくなるお母さんなんていないよ?

え、いるよ、ここに(決めポーズ)


みたいな心温まるくだらないやりとりをしながら、

いただいたのが、こちらの4冊。

なかなか気持ちが落ち着かないから、

しばらくは拾い読み、でも楽しみ!

ありがたい、お年玉、いただきました!


私の中では、

専門書以外を読めるかどうか

小説や詩が読めるかどうか

が健康バロメーターになっていて、

息詰まると、

他の人のことばはストンっと入ってこない

他の人の世界に関心がむかなくなる

そんな時、本は読めない

だから、本が読めないのは、

あーいっぱいっぱいになってるなー

ちょっとガス抜き・気のそらしが必要だなーというサイン

逆にいえば、1分でも5分でも

ぱって読んで、気がちれば、もうけもん

そんなふうに気を散らす、気を紛らわす習慣を

今年も細々と、Yogi Teaとともに。

んでもってこのサイトにももっと書けるようになりたい!

もうちょっとお堅いこと書いてこうかなー

本のとこ充実させたいなーふふふ

こんな感じでゆるゆると。

2021年もどうぞよろしくお願いします。

yuko / כלב

モンペデビュー(2)

「ついにやってやった!」と何か偉大なことを成し遂げたような気持ちになっていた

なのになぜか違和感

周りの友だちの反応との温度差

学校至上主義の方々に理解されないのは分かっているので敢えて理解を示してくれそうな自分と似た志向性の友人を選んで打ち明けている

「やっぱり毎日6,7キロもあるランドセルを背負って20分の往復っておかしいと思うんだよね」

「ほんとそう、可哀想だよねー!無駄だよねー」

「文科省だって数年前から通達だしているのにさー」

「そうなの?」

「そう、なのに変われないのって。だからこないだ先生に言ってみてさ」

「え」

「毎日全教科の教科書やノートを持ち帰るのって何か理由があるんですか、置き勉にしないのって何か理由があるんですかって。」

友人の顔が曇っていく

なんとか理解を、支持を得たい

だってこんなの、悪しき慣習でしかなくて

先生とのお電話の内容の一部始終を話す

話せば分かってくれるはずだ

「…はは、そうなんだー、、笑」

と話題が終了する

終わった
モンペだと思われた

“子ども達が大変、かわいそう、だから楽にしてあげないとという声が、結局、子ども達の心や体が「強くなる経験」を奪っているのだ”

という声もある

違う違う
可哀想だからじゃなくて
無意味だから辞めたいんだって!

(ついでに、中身空っぽにしたってどうせランドセルだけで5キロはあるんだって!十分。ランドセル屋さんには悪いけどリュックに筆記用具と水筒で登校が理想)

だって、持ち帰った教科書広げて復習するこども、全体の何パーセントくらい?

帰宅後も予習復習をする気のある子ども(正しくはスパルタ教育ママを持つ子ども)は通信教育か塾で学習しているのが実態よ?

持ち帰りたい子だけ持って帰ればいいじゃんー!笑(今年度から全ての教科の置き勉を推奨します、とかって校長がいってくれさえすれば、いやわたしは毎日全部持ち帰りたいです、なんて子はおそらくいないはず)

「学校で保管というのが難しくて、、」
「何かあったときに責任を負えないので、、」

クーピーとか絵の具セットとか体操服は置きっぱなしなのに?

よくわからないな
更に攻める

「万が一無くなったりしたときに学校が責任を負えないので困る、ということですか?
では無くした場合自費で購入するということでしたら大丈夫ですか」

「…えっと、そしたらしばらく置き勉という形にしてみますか?」

違う!
先生は誤解している!

これでは完全に敗けである

ひまりちゃんのお母さん=モンペ

ただでさえ忙しいのにモンペの対応に追われるかわいそうな先生

娘は「甘やかされわがままっ子」

の構図の完成である

もーもーもーもーーー!!!

全然納得いかない

「なるほどなるほど、そうですよね、確かに置き勉出来ないなんておかしいですよね。うんうん、それじゃ次の職員会議で話し合ってみますね」
とでも言ってもらえると思ったのだろうか
甘かった

どこまでも平行線である

「あ、じゃあすみませんが、しばらくそれでお願いします♪お手数おかけします」

娘よ
中途半端なモンスターママでごめんなさい

おや

2020-12-25

最近たどり着いた一つの解

親の仕事は、

おや?っと気づくこと

それ以上でも以下でもないこと。

ダジャレだけど、きっとそう。

だから、可能な限り研ぎ澄まそうと思って。

おや?っとする感覚を。

  • « Go to Previous Page
  • Go to page 1
  • Go to page 2
  • Go to page 3
  • Go to page 4
  • Go to page 5
  • Go to page 6
  • Go to Next Page »

Footer

Make your voice heard

Recent Posts

  • 数年ぶりの投稿(笑)最近地獄少女というアニメを観たのでいろいろ考えてみた
  • 想
  • モンペデビュー(3)
  • 新緑を愛でに…
  • おませな友達のはなし

Archives

  • July 2022
  • June 2021
  • May 2021
  • April 2021
  • February 2021
  • January 2021
  • December 2020
  • November 2020

Categories

  • 儚:fleeting (10)
  • 呟:murmuring (18)
  • 本:Librarium (8)
  • 漂:float (11)
  • 熟:deliberation (5)
  • 解:interpretation (4)
  • 記:Logs (31)
  • 詩:Poiema (11)
  • 驚:discordance (2)

Copyright © 2025 · lib.i.do · All rights reserved

  • 生: lib.i.do
  • 詩:Poiema
  • 本:Librarium
  • 記:Logs
  • 触: Contact