友人が紹介してくれた本の巻末の座談会に登場したお姉さんの発言に深く共感、まんまと信者になり、読み終えた数分後には娘の通う学校に電話をかけていた。我ながらミーハー、影響を受けやすく、流されやすく、単純。
海外と日本の子育てについてオープンに語り合う内容で、例えばこんなふうであった。
──外国のいいものを見ちゃったために、日本の保育園や学校に満足できなくなっちゃってる
!
そう!
帰国して約一年、初めのころ、違和感を感じていたいろいろを(調子に乗った海外帰りと思われたくなくて)周りに溢すことができず、なんとなく忘れていたけど、まさにそうだった
──海外の親たちはみんな学校に物を言えるのだということを知ってしまったから、私も日本で気になることを校長先生に言ったら、まわりからまるでモンスターペアレントみたいに言われて、
そう!
あの頃は学校でのことで気になることがあればいつでも先生にメールでも電話でもできて、ピックアップのときにそのまま一時間くらい話しちゃう、なんてこともあって。(この先生とはいまでもたまにメールのやり取りをしている)
モンペなんて概念、あったのかな。
担任の先生が子どもに大声で叱ったのが気に入らず、校長先生に掛け合って先生を辞めさせたママもいたし(さすがにひいたけど)、そこまでしなくても、担任の先生に言えない、あるいはもっと大きな要求のときは、校長に言ってみれば?と周りにアドバイスをされた。
学校には常に対話の機会が開かれた空気感があって、校長はロビーでママたちと談笑しながらコーヒーを飲んでたり、年一回の”odd socks day”には子どもたちと一緒になって変てこな靴下で校内を歩き回るような距離感の近い存在で(間違って普通の靴下で登校しまって泣いている男の子のために、誰かこのクラスで良いアイディアのある子はいるかしら?と声をかけて、すかさず自分の履いている変な靴下を片方脱いで投げてあげるクラスメート、それを見て「だからここの校長って大好き」と安堵し微笑むママ、という光景をいつも思い出す)、わたしの知っている日本の校長先生とは全然違っていて。
──一方、ノルウェーは、民主的な保育をしていこうっていうことで、親の意見を聞く場が設定されている
当たり前だわ!
「先生たちが提示してきた保育のあり方に、親が乗っかるだけ」の現場なんか日本だけ!!
───親が好きな保育士雇って、自分たちで施設のレイアウトとかも全部決められて、保育とか子育て環境を良くしたいと思う親の気持ちが叶えられているんです
え、
まじ?
最高、それがいい
今から学校を創るのは無理でも、せめて子どもの生活をより良いものにするために意見するくらい、当たり前だよね?
むしろ先生に新しい気付きを与えるという点でもすごく意味のあることなのでは?
え、ていうか、みんなもほんとはこれ、おかしいって思ってるけど、口にしてないだけだよね?
加速度的に気持ちが高揚して、
もう絶対いま電話したほうがいい!
少しでも早いほうがいい!
娘の入学時から、子どもに何もメリットがないのに変われない、誰も得をしないのに、恐らく誰も問わないであろう「管理責任」を学校が負うことになるのを避けるため、無意味な「当たり前」を(文科省からの通知を受けているにも関わらず!)何十年も続けていることに違和感を感じていた
伝えたかったことの要点を頭の中で雑にまとめて
「夕方の忙しい時間帯にご迷惑かしら」と1%くらいは先生を気遣ってみたりしつつ
勢いに任せて、お電話をかけた。
晴れて”モンペ”デビュー、したのだった。
池本美香・秦かおり・岡本多香子・井出里咲子「座談会 子育てをめぐる社会はどうあるべきか」(2014.9.2実施)秦かおり・岡本多香子・井出里咲子(2017)『 出産・子育てのナラティブ分析: 日本人女性の声にみる生き方と社会の形』大阪大学出版会、pp.221-256.