2020-12-09
お茶を飲むという行為に、ことばが添えられるYogi Tea.
サロンでお茶を飲みながら、言葉を交わしていた時代の人からしたら、
興醒めだろうと思ったり.
そのとき、そのときの、生をとらえることばを
議論の中で探り合い、見つけ出すためにこそ
お茶を飲んでいたのだろうから.
でも、しいんとした夜に、ひとり
ことばにとらわれるその一瞬は、
また別の暖かさ.
<行為者としてのモノ>(ギギ 2011)について
考えたのはフランスの人類学者・哲学者ブルーノ・ラトゥール(1947-)だとか.
ひるがえって日本の民俗学者折口信夫(1887-1953)は、
日本の古代の神概念としてカミ・オニ・タマ・モノをあげる(折口 1929).
「モノ」が指し示すものは当然違うだろうけど「モノノケ」なんてのは、
まさに、<行為者としてのモノ>を捉えたのではなかったか.
このあたり、じっくりと、またこんど.
さて、もう一杯入れてこようかな.
<行為者としてのコトバ>にとらわれるために.
ファビオ・ギギ (2011)「行為者としての「モノ」 ──エージェンシーの概念の拡張に関する一考察──」『同志社社会学研究』 15:1–12.
折口信夫(1929)「霊魂の話」(『民俗学』第一巻第三号)折口信夫全集刊行会編纂(1995)『折 口信夫全集 3』中央公論社、pp.248-263.
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